自分がここにいる意味
生きている意味2

つらいよね

今日1日、頑張ってみませんか?

以前、このエッセイで「生きている意味」を書いた。
人は「自分は何故、生きているのだろう?」という疑問を少なからず持って生きているのではないか?そんなことを書いてみた。
そして、自分は結構「生きたい」のだということに気がついたとも書いた。

今でも、気持ちが弱くなる時がある。
以前よりは、その回数は減った気がするが、まだ自分の存在に対して疑問を持つことがある。
そして、そんな時は「もうダメだ。生きているだけでしんどい。」と、どんよりした気分に浸っている。

なのに・・・。
今日も私は生きている。
何故?
やはり、私はまだ何とか生きたいのだと思う。

でも、最近は、本当に生きることを止めてしまう人が多い。
私のように、みっともなくても何でもこの世に執着心があればいいが、本当に簡単にあきらめてしまう。

人それぞれ、色々な事情があり、色々な思いがあるだろうが、心がとてもつらくなるんだろうな、という想像はできる。
生きるということは、結構しんどい。特に、今の世の中は生きにくい。
先に希望が持てなくて、自分が生きているということに意味を感じなくなることもあるかもしれない。

そんな時、ちょっとだけ生きることを止めるのを待ってみてもらえないだろうか?
そして、紙に、今、自分の周りにいてくれる人を書き出してみてはどうだろう?
両親は?兄弟は?友達は?仕事の仲間は?お客様は?
誰かの名前を一人でも書くことができるだろうか?
もし、一人でも書くことができたら、それはきっとあなたの財産だと思う。その人とあなたとの関わりがそこに存在する。
誰かとの関わりがあるなら、あなたはその人に何かしらの影響を与えているはず。そこに、あなたの存在の意味がある。

もし、大切な人を失って、心の中にポッカリ穴が空いてしまったら、失った人ではなく、側にいる人に注目してみよう。
その人は、あなたを心配してくれているだろうか?あなたのことが好きだろうか?ほんの少し、あなたのことを気にかけてくれているだろうか?
そんな人がいるとしたら、その人にちょっとだけニコッと笑ってもらえるように、今日1日をまず頑張ってみませんか?
難しいことはわからないけれど、誰かが自分の存在によって喜んでくれたら、きっと自分が生きている意味を少し感じるかもしれない。

前回の「生きている意味」では、『生きていることそのものに意味があるのがわかったから。生きていることに「なんで?」って、特別な意味を探す必要はない。』と書いた。
たぶん、そうなのだと思う。今でもそう思う。
与えられた命を、自分なりに楽しんで全うする。ただ、それだけでいいのかもしれない。

どこも痛くも苦しくもない、健康な体があるのなら、それだけで幸せを感じることもある。人が生きている意味は、幸せを感じるためかもしれないね。
そんなシンプルなものかもしれない。

もし、生きるのがとても苦しくなった時、自分の存在価値や存在の意味なんて、考えなくていい。頭でそんなことを考えなくていい。
頭でそんな難しいことを考えている間も、あなたの体は生きるために動いている。心臓は鼓動を打っている。細胞は生まれ変わっている。
あなたが意識していなくても、1秒1秒、ただ生きるために動いている。あなたの体はとてもけなげだ。そんな自分の体が愛おしくありませんか?
せっかく一生懸命に動いているのだから、大切にしてあげたいよね。
自分の体を大切にして欲しい。


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