| みんな同じ? |
命の重さ |
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☆重さってどのくらい?
自分の命の重さは・・・。 |
| 「命の重さ」という言葉を聞くことがある。 命の重さってどのくらいなんだろう?みんな同じ重さなんだろうか?それとも人によって違うのだろうか? もし同じだとすれば、「命」というものに関しては誰もが平等ということだよね。 本来は、命は平等であるべきものだと思う。でも、実際はどうなんだろう? 例えば、何の関係もない人を残酷な手段で殺してしまった人間と、殺された側の人間と、同じ命の重さがあるのだろうか?それってすごく違和感を感じる。「本当に同じなの?」と。 じゃあ、人によって重さは違うのだろうか? その違いはどこで決まるのだろう?誰がその基準を決めて誰が判断するのだろう? 生まれた時は、みんな同じ条件のはずだ。(違う場合もあるかな・・・?)そこから人生を歩んで行くうちに、色々な出来事にぶつかって、色々なことをしてそれぞれの人間性が確立されていく。 その課程で重さに違いが生じるのだろうか? 以前、「価値がわかるのは死んだ時?」ということで、「人の価値」について書きましたが、この「価値」と「重さは」同じ意味になるような気もする。ただ、「価値」は「どのくらい人に必要とされたか」とか「どのくらい人に幸せを与えられたか」とか「どのくらい自分が人生を楽しんだか」等という要素で少し見えやすいが、「重さ」は「あの人の命って重いよね。」とはなかなか言えないし、わかりづらい。ということは、「価値」と「重さ」は違うということか? 「価値」が人生の要素であるならば、「重さ」は、物理的な要素が関係あるように思う。 例えば私にとって大切な人が死んでしまったとする。 昨日までその人は存在していて、話をしたり、笑ったり、泣いたりしていた。手に触れると暖かいし、声を聞くと安心する。それが、次の日には何もなくなってしまう。手に触れても気が遠くなるほど冷たい。声も聞くことができない。何も話してくれない。涙も流さない。そして、形さえなくなって触れることもできなくなる。「その人がいた」という思い出しか存在しない。その時、たぶん、「重さ」を感じるのではないだろうか?「まず、人間としての存在がある」ことが、どんなに大切なことだったのか、その手に触れることができることがどんなに大切なことだったのか、触れることができなくなってその「重み」に気がつく。そして、その「重み」を感じることで、その人の「価値」が現れてくる。 また、「価値」は自分で感じることができるけれど、「重み」はどうなんだろう? 何か自分にとってささやかな「いいこと」があった時、「今日は価値のある1日だったな。」と思える。それはそれで、その人の生きる価値を自分で感じているということ。 だけれど、「今日は私、重みのある人間だったわ。」ということはちょっとないのではないか。 「命の重さ」って、「価値」より難しい。 私は、自分の命の重さについてはよくわからない。 自分に一体どの位の命の重さがあるのか・・・。他の人と同じくらいの重さがあるのだろうか?命の重さに違いがなくて、みんな平等であればいいなと思う。そうすれば、自分も「みんなと同じ」と思えるから。 まー、考えてる暇があるなら、有意義な時間を過ごせよ、ですよね。 |
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